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水戸地方裁判所 昭和29年(行)28号 判決

原告 重内鉱業株式会社

被告 茨城県地方労働委員会

主文

被告が昭和二九年九月二九日付で、審査申立人高橋実行審査被申立人重内鉱業株式会社間の茨労委昭和二九年(不)第二号事件につき、原告に対してなした命令を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求めた。

第二当事者の主張

一、請求の原因

(一)  原告会社は、その従業員である高橋実行に対し、昭和二九年五月九日、同年六月八日付で解雇する旨の意思表示をした。右高橋は原告会社を相手取り、右の解雇は不当労働行為であるとして被告委員会に救済を申し立てたところ(茨労委昭和二九年(不)第二号事件)、被告委員会は右解雇は正当な組会活動の故になされたものであり不当労働行為に該当すると判断し、昭和二九年九月二九日付で「一、被申立人(原告会社)は申立人(高橋実行以下同じ)に対する昭和二九年六月八日付解雇を取り消し、申立人を解雇当時の原職に復帰せしめ、且つ解雇の日より申立人が受くべき賃金相当額を支払わなければならない。二、前項は本命令交付の日より十日以内に履行しなければならない。」旨の命令を発し、同命令書は同年一〇月二日原告に送達された。

(二)  しかし、被告委員会の発した前記救済命令は次の理由により違法であつて取り消さるべきものである。

(1) 元来、原告会社は、石炭の採掘販売を目的とする株式会社で、茨城県多賀郡磯原町大字大塚字重内に石炭鉱区を有し、石炭を採掘して専用鉄道線により国鉄磯原駅経由で出炭しているものであるが、吾国における炭況は近時見通しが不良となり昭和二八年来石炭業者は人員整理に着手し、小炭鉱業界にあつては経営難のため一ケ年間に約二百の廃業者を生ずるに至つた。原告会社も右の例にもれず、昭和二七年一二月一日から翌二八年一一月三〇日迄の一ケ年間に七四〇万円以上の赤字を出し、更に昭和二八年一二月一日以降も毎月平均一〇〇万円以上の欠損を生ずる状態であつた、このように原告会社は赤字経営が続く上に、好転すべき特殊材料も持たぬ故に、企業を合理化し経費を節約するため、間接部門の整理を企図し、左記内容の企業整備案を作成、昭和二九年四月三日これを重内炭鉱労働組合(原告会社の従業員によつて組織されている組合)に呈示した。

企業整備案

一、土木関係を全廃する。

二、機電係所属の機械工場の大部分を整理する。

三、資材課トラツク四台のうち三台を減らし常時一台を存置し一台の予備を置く。(資材課自動車運転手七名を三名に減員する)

四、資材課製材部を半減する。

五、以上各課係の余剰人員はなるべく坑内へ配置転換して犠牲者を少なくする。

なお原告会社は以前にも人員整理をしたことがあり、そのときの整理基準は一、能率(勤務時間中忠実に職務を遂行しているかどうか、及びその作業成績を綜合して判定する。)二、部課内部の統制上の適否(同僚と協調を保つて作業しているかどうかを考える)三、年令(原告会社の従業員の停年が五五歳であるため、停年に近い者及び病弱者を優先的に整理の対象とする)四、非行(過去において懲戒をうけたことがあるかどうかを重点的に考慮する。但し、それ以外の非行を斟酌しない趣旨ではない。)とし、これによつて実施したものであり、前記企業整備案を組合に呈示した際、整理の基準としては従来どおりの方針を踏襲する旨を告げておいた。組合は同月四日の第五八回闘争委員会において右企業整備案を承認した。次いで原告会社は同月七日余剰人員整理者名簿(資材課自動車部関係を除く)を組合に呈示してその承認を求めたところ、組合は同日の第五九回闘争委員会において、(一)組合員一四名、臨時夫二六名の解雇(二)二八名の配置転換を承認し併わせて資材課自動車部門につきトラツク常備一台、予備一台とし、自動車運転手四名を他へ配置転換する枠についても承認した。そこで原告会社は、自動車部門につき配転すべき四名につき前記整理基準に則つて銓衡を進めた結果、勤務成績の比較的低位に在る高橋勳(高橋実行の弟)・高橋実行・和田彦六・菊地照夫を他へ配転することに決定した。今、高橋実行並びに同勳についてその銓衡の経過を述べると、実行は運転技術のみは他の者に比して優秀であるが、右両名とも自動車の整備作業その他仕事に対する誠実さの点ですべて劣り、勤務時間中屡々パチンコ遊戯に耽り勤務を怠つた事跡に徴し、自動車部門七名の従業員中成績低位の者四名のうちに這入ることとなつたのである。(四名のうち高橋勳が最下位、その次が高橋実行である。)なお両名は自分のなすべき仕事を助手にやらせたりするので助手からいやがられ、実行の助手が実行の給料は自分に払つてもらいたいといつて憤慨していたこともあるような状態で、勤務成績の点と部課内の統制という点からみて到底元の職のままでおくことはできなかつたものである。原告会社においては高橋実行の転出先として坑外の機電係を予定したのであるが、同係においては解雇者や他の職場への転出者が多数にのぼつていた関係上、右実行の受入を渋つており、また坑内職場への配転は実行の拒否するところであつた。高橋勳については原告会社としては同人を機電係その他の職場へ配置転換しようとしたのであるが、これも拒否された。他の二名(和田・菊地)については配転先がきまつたが、高橋勳と同実行とについては、右の事情で配転先がきまらず行き悩んでいたところ、たまたまその頃高橋実行及び同勳の非行についての投書があり、原告会社において調査したところ、四月一三、一四日頃同人等についていずれも従業員としての適格性を欠くような非行が認められるに至つた。即ち実行についていえば、(一)原告会社所属トラツクの中古スプリングを二回に亘り(第一回は昭和二八年一月中重内炭坑車庫前において、第二回は同年五月頃磯原町石塚修理現場において)各一〇貫位をいずれも代金一千円位でほしいままに売却して代金を着服した。(二)自動車につき原告会社と取引関係のある自動車部分品販売業滝正義、自動車修理業石塚義雄鋳物工石崎朝光等から前後八回位に亘り合計一千五百円位を原告会社自動車部所属従業員たるの地位を利用して借用したが、未だ返済されないままになつていた(現在でも返済されていない)。また勳については、原告会社所属トラツクのスプリングの廃品を会社に無断で売却しその代金を着服した。以上の外、右両名はその自動車運転に供すべきガソリンを相当量他へ横流ししたことを信ずるに足る情報があつた。このような事情で実行兄弟については原職に留めることができずその配置転換も事実上不可能である上に、従業員としての適格を欠くと認むべき非行が発覚した以上、多数の従業員を有する原告会社としてはむしろ同人等を解雇する相当とすると考えられるに至つたので、同年四月十五日右両名解雇の方針を定め、翌一六日組合に右の案を示してその承認を求めた。爾来数次にわたり組合側と交渉を重ねた結果(この交渉は主として実行に関するもので、勳については組合側も殆んど問題にしなかつた)組合は同年五月七日の第六五回闘争委員会において実行の解雇をも承認し(これに先立ち組合長は実行と会見しその意思を確かめたところ、同人は解雇を承諾する旨答えた)同月九日原告会社に対し、組合としては実行兄弟の企業整備による解雇を承認する旨回答して来たので、原告会社は前記のように実行及び勳を解雇する手続をとつたものである。

なお高橋実行が労働組合の役員として労働運動を為したことは事実であるが、同人は組合業務専従者になつたこともなく、原告会社経営者の注意をひく程度の行動はとつていない。故に若し原告会社にして組合活動を活発に行つた者を解雇する意思を持つていたとするならば、高橋実行ではなく他に解雇さるべき者があつた筈であり、このことは組合自身よく知るところであろう。

高橋実行解雇の経緯は以上のとおりであつて、要するに本件解雇は高橋実行の正当な組合活動の故になしたものではなく、同人に勤務成績不良等の事実あり、初め配置転換者の中に入れたところ、その配置転換も事実上実施し得ない上に、従業員としての適格性を欠くと認められるような非行があり、その解雇も已むを得ざるものがあると思料せられたし、組合側とも折衝を重ねその承認を得た上実施したものであるから、不当労働行為とせらるべきいわれはない。

(2) なお被告委員会は前掲の救済命令において、原告会社に対し、高橋実行の原職復帰を命じているが、原告会社においては前記のような企業整備案を実施した結果、実行の原職場である自動車部のトラツクは既に常備一台予備一台に減縮整理されており、運転手に欠員がない現在最早実行の原職復帰は不能である。このように不能を内容とする前記命令はこの点においても違法たるを免れない。

以上の理由により被告委員会のなした前掲の命令は違法であるから、その取消を求める。

二、答弁

(一)  原告主張の(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、

(1)の点については、原告会社の目的が原告主張のとおりであり、原告主張のような方法で営業をしていること吾国石炭鉱業が近時不況となつたこと、小炭鉱業者のうちには経営難のため廃業する者がでたこと、原告会社が昭和二九年四月三日その主張のような内容の企業整備案を組合に呈示してその承認を求め、組合は同月四日の闘争委員会において右の案を承認したこと、資材課の自動車運転手についてはこれを三名に減員するを相当とすべき状態にあつたこと、昭和二九年四月七日の闘争委員会において、組合は原告主張の原告会社発表の余剰人員整理者名簿について、(一)整理者組合員一四名臨時夫二六名(二)配転者二八名を承認するとともに、さきに原告会社から呈示のあつた原告主張のような内容の自動車部門関係の整理案(三名を残し、爾余の者は他へ配転する案)をも承認したこと、組合は昭和二九年四月一六日原告会社から高橋実行並びに高橋勳を解雇する案の呈示をうけ、高橋実行の解雇問題について原告会社と数回に亘り団体交渉を重ねたこと、原告会社が昭和二九年五月九日、高橋実行に対し同年六月八日付をもつて解雇する旨の意思表示を為したことは認めるが、原告主張のような整理基準が組合に呈示されたとの点は争う。なお前記企業整備案をたてた当時自動車部門の従業員は原告主張のように七名ではなく、六名であつた。即ち一名は当時既に他に配置転換されていたものである。また高橋実行の勤務成績に関する原告会社の評価は正当ではない。高橋実行が会社の古スプリングを二回売却したことは事実であるが、第一回の重内鉱業所内における分は、実行において直接代金の授受をしなかつたので金額は不明であるが、僅少と思われ、第二回目の石塚工場における分は五、六貫目で代金は三百円位である。同人が勤務時間中にパチンコをした事実はあるが、そのため特に勤務を怠つたということはない。又同人が会社の取引先から借金等した事実はあるが、それは同人の職務と全然無関係なものであり、しかも全部返済ができている。更に実行が坑内への配転を拒否したという事実はない。以上の点及び高橋実行の組合活動の点を除きその余の点は知らない。

(三)  被告委員会において、原告会社がなした高橋実行の解雇を不当労働行為であるとして救済命令を発した理由は別紙命令書写の「第三認定した事実及び判断」中に記載したとおりであり、結局において右命令には原告主張のような違法は存しない。又高橋実行の原職復帰が不能であり、救済命令が不能の事項を内容とするものであるとの原告の主張は認め難い。

第三証拠方法〈省略〉

理由

茨労委昭和二十九年(不)第二号事件審査申立人高橋実行は原告会社従業員(原告会社重内鉱業所資材課自動車部運転手)であつたところ、同人に対し原告会社は昭和二九年五月九日、同年六月八日付をもつて解雇する旨の意思表示をしたところ、実行は右解雇は不当労働行為であるとして原告会社を被申立人として被告委員会に救済の申立をしたこと、被告委員会は審査の結果右解雇は正当な組合活動をしたことの故をもつてなされたもので労働組合法第七条第一号所定の不当労働行為であると判断し、昭和二九年九月二九日付で請求の原因(一)所掲のような内容の命令を発し、同命令書は同年一〇月二日原告会社に送達されたことは当事者間に争がない。

第一、高橋実行の組合活動の点

成立に争のない乙第二号証の二・同第一一号証並びに証人泉勇吉飛田忠義(一部)高岩竹次郎、石川清孝の各証言を綜合すると、高橋実行は前記解雇当時原告会社の従業員(但し臨時夫を除く)をもつて組織せられた日本炭鉱労働組合常磐地方本部(以下磐炭労と略称する)重内支部(昭和二一年一月一三日結成以下組合と略称する)の組合員であり、昭和二一年七月組合の執行委員(非常任)に選出され、以後職場代議員、青年部長、同副部長を歴任し、昭和二三年一〇月執行委員を辞任、職場代議員となり、昭和二六年九月会計監査に就任、更に昭和二十七年一〇月非常任執行委員に選出され体育部長を兼ね、昭和二九年三月磐炭労の賃上争議の際は臨時常任闘争委員となり、同年四月二九日組合執行部総辞職に伴い執行委員を辞任するまで引続き幹部として組合活動に従事して来たこと、右の賃上争議にあつては前後十数日に至つて断続的にストライキを重ねたのであるが、高橋は青年行動隊長を兼務し、或は組合員並びにその家族に対する啓蒙宣伝活動に従事し、或は団体交渉その他原告会社との折衝に当り、なかんずく右の争議の際の平市石炭会館における東部石炭鉱業連盟との団体交渉(同年三月二八日頃)原告会社との間の保安要員打合わせ協議会における折衝(同年三月二十七日頃)ストライキのため原告会社重内鉱山の坑口に放置された炭車積載の石炭の処置に関する原告会社重内鉱業所事務長との会談(同年三月二五、二六日頃)において相当過激な言辞をもつて相手の主張を反駁し、更にまた同年三月二〇日頃磐炭労の要請により青年行動隊を指揮して常磐合同炭鉱のピケラインを設定し磐炭労の統一闘争態勢の維持強化に貢献する等組合のいわば強硬幹部の一人として積極的に活動したこと、原告会社としてもこれらの事情は大体において諒知していたことが認められる。

第二、原告主張の企業整備の進展並びに高橋実行解雇に至るまでの経過について

(一)  本件企業整備案について

昭和二八年から同二九年にかけて、吾国石炭鉱業界は石炭需給のアンバランスのため炭価の値下りを生じて不況におちいり、特に中小企業にあつては経営難のため廃業する者が少なくなかつたことは一般に知られているところであり、成立に争のない甲第一、第一二、第一五号証並びに証人高橋悌治、井上恵助(第一、二回)の各証言を綜合すると、原告会社においても昭和二八年度決算期現在既に相当額にのぼる欠損を生じていたのでこれが打開策として、同年中近い将来企業整備を行うべき旨の方針を立て、昭和二九年二月頃組合側にその旨内示したが、当時賃上闘争が始まつていたので、暫く保留していたところ、その後まず労務者一人当りの出炭量一ケ月一〇屯から一二、一三屯程度のところを一三、一四屯程度まで生産能率を向上させることを当面の目途とし、これが達成のためいわゆる坑外事業を縮少し坑外夫を減員してその余剰人員をできるだけ坑内に配置転換し坑内作業能力を拡大充実し、もつて採炭能率の向上を期せんとし、一、土建関係を全廃して外註制とすること。二、機械工場関係は原告会社から分離独立せしめ、独立採算制とすること。三、製材関係は半減すること(丸鋸二台帯鋸一台のところ丸鋸一台を廃止する)。四、以上施設の縮少に伴う余剰人員の整理については、臨時夫を解雇する、また本誓約夫は他へ配置転換するが配転先は原則として坑内とすること、但し特に作業能率の低いものは解雇するが犠牲者は少くすること。以上の企業整備案を立案し昭和二九年四月三日これを組合に呈示して同日その承認を得たこと、更に施設の縮少等に伴う余剰人員の整理については各係別に具体案の作成にあたり四月六日開催の主務者会議(課長、係長等いわゆる主務者による会議)において銓衡の結果ここに最終確定をみ、原告会社はその成案を得るに至つたこと、以上の事実が肯認できる。原告は企業整備案とともにその主張の整理基準を組合側へ告知した旨主張し、証人井上恵助の証言中これに照応する部分があるけれども、部課内の統制、非行の項については証人寺田四智郎の証言及び前記甲第一五号証と対比しにわかに措信しがたく、他にこれを認めるに十分な証拠はない。次に右企業整備の一環として樹立された資材課自動車部についての企業整備について検討すると、前記証拠によれば、原告会社における採炭はもともといわゆる第二、第三、第五斜坑からなされていたのであるが、この第三斜坑にはその坑口附近に水洗設備がなく、ために同坑内から掘り出した石炭は、一定大の塊炭を除きその余については、これを商品炭に仕上げるために一粁余の距離にある本坑(原告会社においては第二、第五斜坑を通常本坑と呼称していたので本件においても右の例にならう)の坑口附近の水洗機を経由する必要があつたこと、そして自動車部の主要な仕事の一はこの第三斜坑から採炭した石炭を前記の水洗機まで運搬することであつたこと、ところで原告会社においては、この第三斜坑と本坑との坑内連絡による採炭能率の向上を企図して両坑の貫通につとめてきたのであるが、昭和二八年八、九月頃両坑の貫通が成り、ここに第三斜坑の石炭は坑内運搬により水洗設備を経由することとなつたため、前記のトラツク運搬の仕事はなくなつたこと。ところが貫通後も坑内運搬系統に属する機電係捲きの設備の完成が遅れたり、あるいは第三斜坑口附近の坑木の跡片付などのため、自動車部の実際の作業量が減少したのは昭和二九年二月頃であつたこと、それで原告会社は資材課自動車部所属のトラツク四台のところを常備一台、予備一台に減縮し、運転手を三名とする整備案を他の部門に関する前記の企業整備案の一環として立案し、これを昭和二九年四月三日組合に対し一括呈示して同月七日組合の承認をうけたことが認められる。以上各般に亘る事情を綜合すると、本件企業整備案はその妥当性を欠くものとも認められないのである。

(二)  資材課自動車部における余剰人員(トラツクの減数に伴う)の銓衡について

原告会社は前記のような経緯のもとに立案、組合の承認を経た自動車部整備案にもとづき人員整理(配置転換並びに解雇)を実施することになつたわけであるが、成立に争のない乙第二号証の三・同第三号証の三並びに証人掛札義男(一部)、宮内宏人、井上恵助(第一、二回)の各証言を綜合すると、前記人員整理の具体案については、原告会社重内鉱業所長から昭和二九年四月二日に同鉱業所の各課係長等各職場の長に同月六日までにこれを作成するよう指示があり、その指示にもとずき各課係等各職場別にその長の責任において作成せられたのであつて、この具体案にもとずき同月六日開催の主務者会議の審議を経てここに被整理者の確定をみるに至つたこと、自動車部についてはその所属する資材課長の手許で銓衡の上具体案がたてられたわけであつて、資材課長掛札義男は係員の狩野亘、矢野七郎、渡辺香津未等と協議の結果、同月五日資材課として自動車部所属従業員運転手六名助手一名のうち他に配置転換すべき余剰人員として菊地照男、和田彦六、高橋実行、高橋勳(実行の弟)の四名を選び、中島繁治、関川米蔵、松原利夫の三名は残置することに決定したことが認められる。次に高橋実行銓衡の経過について考えると、成立に争のない乙第二号証の三・同第三号証の三(一部)、証人掛札義男の証言(一部)により真正に成立したものと認められる甲第七号証・証人関川米蔵の証言により真正に成立したものと認められる甲第六号証並びに証人掛札義男(一部)、関川米蔵、井上恵助(第一回一部)の各証言を綜合すると、高橋実行は昭和二八年から同二九年にかけて屡々勤務時間中にパチンコ遊戯に耽り、ために或る時は助手の関川米蔵単独でトラツクを運転させ、また或る時は資材課坑木係の坑木整理作業に影響を及ぼして同係員の非難するところとなつたこと、更に資材課長は高橋の右のような勤務態度につき、同人に対して、昭和二八年三月頃と同二九年一月頃との二回に亘り注意反省を促したが右の態度は結局改められなかつたこと。しかし他の運転手(高橋勳を除く)助手には右のような事蹟はなかつたこと、高橋勳はパチンコに耽つたり、職務の遂行につき誠実さを欠く点において兄実行以上のものがあつたこと、それで資材課狩野係員その他より高橋兄弟についてはこれを原職にとどめたのでは職場規律が紊れ、作業能率に悪影響を及ぼすというので強硬に課外への配転を主張したこと、これらの事情のため、資材課長としても結局高橋兄弟を配転者として選んだことが認められる。次に前記の証拠によれば高橋実行の運転技術は前記他の運転手等に比し最も優れていたことが認められ、また右証拠並びに証人高橋実行の証言(一部)を綜合すると、同人は昭和二六年八月原告会社から保安表彰をうけたことが認められるが、その作業成績という点については、証人井上恵助、掛札義男の各証言(各一部)更に前認定事実を綜合すれば、運転手等七名中の第三位以上に位置するものではないことが認められるし、また保安表彰の点については、前記の各証拠を綜合すると、この制度はいわゆる保安週間に因んで設けられたものであり、表彰をうける者の銓衡基準は勤務成績もさることながら、勤務年限、序例、そして業務上の事故の有無、出勤率等が重要な項目となつていること、高橋が保安表彰をうけた当時、同人には前記認定のような勤務態度が見られなかつたことが認められる。右の認定に牴触する証人高橋実行の証言は信用できない。以上各般にわたる事情を綜合すると、前記の銓衡は高橋実行、同勳に関する一応首肯できる根拠のもとに行われたものと考えられる。要するに資材課における右の銓衡が資材課長または銓衡に関与した前記係員により、高橋実行を特に他の者から差別して行われた形跡を認めるに足る資料は存しない。

(三)  高橋実行の転出すべき職場の銓衡について(但し昭和二九年四月六日開催された原告会社主務者会議を中心とする渉衡の経過)

証人宮内宏人の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証並びに証人掛札義男(一部)、宮内宏人、井上恵助(第一回一部)の各証言を綜合すると、高橋実行の資材課外配転を決意した掛札資材課長は、高橋の配転先として坑外機電係の捲手が妥当であると考え、同係長宮内宏人に受入方を懇請したが同人の同意を得られないままに昭和二九年四月六日の原告会社主務者会議の開催となつたのであること、資材課長は同会議において原告会社重内鉱業所長志賀隆寿に対し高橋実行の機電係捲手への配転につき斡旋せられ度い旨懇請したこと、このようにして宮内係長は所長から高橋実行の受入について相談をうけたのであるが、同係長は今次企業整備に伴い両係から少なからず犠牲者を出すこととなること、高橋の勤務素行等に非難が多く職場規律を紊すおそれがあること等の理由のもとに高橋の受入れを拒絶したことが認められる。

(四)  前記原告会社主務社者議以降、原告会社が組合と団体交渉を重ねた末、高橋実行解雇の意思表示をなすに至るまでの経過について

原告会社が昭和二九年四月七日組合に対し配転者解雇者の氏名(但し自動車部関係を除く)を発表し、同日組合は闘争委員会において(一)解雇者、組合員一四名(但し実質上停年退職の者を含む)臨時夫二六名(二)配転者二八名につきこれを承認するとともに、自動車部につきトラツク常備一台、予備一台、運転手三名とする整備案をも承認したことは前記のとおりであるが、その後の経過については成立に争のない乙第二号証の二、同第三号証の一、七・証人宇野内匠、石塚義雄、滝正義、石崎朝光、山崎晟(一部)の各証言、右石塚、滝、石崎、山崎各証人の証言によりそれぞれその成立を認め得る甲第五、第九号証・第一〇号証の一・第一一号証・証人掛札義男、井上恵助、高橋実行、寺田四智郎、泉勇吉(各一部)飛田忠義、立川正之助、高岩武次郎の各証言並びに右井上証人の証言により原告主張のような投書であることを認め得る甲第一四号及び被告主張のような投書であることにつき争のない乙第一七号証を綜合すると次のような事実を認定することができる。

(1)  前記のように高橋実行並びにその弟である勳の配転の問題は配転先未解決のまゝ昭和二九年四月六日の主務者会議は終了したのであるが、たまたま四月八日井上事務長の机上に

「今度の事でいくつか事実をお知らせします。

一、二八年一―一三車庫にてソロントスプリング及び補助スプリング交換の時(一時―三時迄の間に)損傷スプリング一揃磯原から来山する古物商に売却した。(内野氏も現場発見) 四号 〈実〉

二、二八年磯原へ炭礦よりスプリングを下げて古物商に売却(アツセンブリ)金一〇〇〇円也石塚工場へ朝鮮人が持参し、工場主も全員現場確認す 四号 〈実〉

三、二八年二―二四磯原水上パンク屋二時より―六時迄の間にガソリン売却の現場、近所の者より発見現場確認す 二号 〈勳〉

四、二七年―二六年―六月頃迄に二号・四号にて水上にて相当数にわたつてガソリン売却の現場を近所の者が発見、現場も何人もの人に確認されています。 〈両〉

其の他パチンコは毎日の如く云々」

と記載した無記名の書面(甲第一四号証)が置いてあつたし、更に同月一〇日には一町民という名義で「自分は磯原町民であるが重内炭礦の車が水上タイヤー店前において度々貴重なるガソリンを下して行くところを見かけている、又時には朝から晩までパチンコ屋で玉と機械をにらめて何もかも忘れたように熱中しているところを再三再四見かけている。このようなことでは運転手本人の将来についても炭礦側としても互に不幸をまねく結果となるであろう。それで自分としては見ぬ振りもできず、好意的にお知らせするのであるが、事が大きくなつては互に迷惑であるから、炭礦側の胸におさめて本人に忠告してやつて頂けば本人にとつても幸と思うという趣旨の原告会社宛投書(乙第一七号証)がきた。原告会社の志賀所長井上事務長等としては右は高橋実行、同勳に関するものであることは明らかであるとし、協議の上志賀所長は四月一〇日頃資材課係員渡辺香津未を、また同月一二、一三日頃掛札課長、労務係員武藤邦雄の両名を、それぞれ磯原町に派遣し調査させる一方、重内鉱業所内の調査をも進めた。

(2)  渡辺香津未及び掛札義男は調査の結果にもとずき、前記書面記載のように高橋兄弟につきガソリン相当量を横流ししたこと古鉄不法領得の事実は肯定し得る旨並びに高橋実行は原告会社の自動車運転手たる地位を利用し、原告会社と自動車修理等で取引関係のある磯原町内の修理業者部品業者等数名からパチンコに使う等の目的で金銭の貸与を要求しこれが貸与を受けたがこの借金は返済していないこと等を井上事務長に報告した。

(3)  井上事務長としても再度調査の結果であるから、右の不正行為はまず間違ないものと思い、同月一五日志賀所長、掛札課長等と協議の結果、実行兄弟については前記のようなパチンコ遊戯による勤務懈怠の事実がありこの点については夙に重内鉱業所内にとかくの非難があるし、配置転換が円滑に行かないところへ、前記のような不正行為があるというのでは、不正行為の全然ない者でも整理の対象となり得る企業整備の際に実行兄弟を会社に留めることは妥当でない。配転が行悩みとなつている際であるからむしろ同人等を解雇することにし、任意退職ということにして他の会社への就職に便宜を供する方がまさつているとの結論に達した。

(4)  なお前記高橋兄弟のいわゆる不正行為については

(イ) 古鉄(スプリング)を二回にわたり高橋実行が売却したこと自体(数量の点を除く)は被告もこれを認めているところであつて、後に組合と原告会社間において実行の解雇に関する交渉の行われた際にも、実行本人も認めていたし、組合側もこれについては反駁をした事実はない。(尤も右不正領得の数量については原告主張のような数量金額のものであつたことはこれを確認する証拠は十分でなく、昭和二八年一月頃重内鉱業所内で売却したときの分は原告会社雜役夫宇野内匠が現認したがその数量については四、五貫目であり、その後磯原町石塚工場において古スプリングを売却したときも五、六貫目で大差なく、二回目の売却代金は三〇〇円位一回目はそれよりやゝ少い程度と認められる。後者の数量金額については右認定の限度では被告も認めているところである。)

(ロ) 次に高橋実行が原告会社の取引先等より借金等した点については、同人は昭和二八年中磯原町の鋳物屋石崎朝光より二回に合計四〇〇円を借り受け、同町自動車修繕業石塚義雄より三回位に合計五百円位をもらい又別に煙草二〇個位を四回位にもらつたがこれらはいずれもパチンコ代に充てるということでもらつたものであり、自動車部品販売業滝正義より昭和二九年四月頃これもパチンコ代として数回に五〇〇円を借り受けたが、以上の借金はその返済がなされないまゝになつている。

(ハ) 次に高橋実行のガソリン横流しの点については、被告はその事実を否定するところであるが、本件にあらわれた全証拠資料によつても、これを確認すべき十分な証拠はない。尤も掛札義男等が磯原町山崎晟方(前掲甲第一四号証に記載してある水上タイヤ修理店の向側)に行つて調査した際、山崎は、実行が水上方でガソリンの横流しをやつたということにつき、いかにもそれが真実であるように告げたので(山崎自身もかつて自動車の運転手をしたことがあり、附近の修理工場に出入する運転手等と談話の際何回か実行兄弟が水上へガソリンを横流ししているとのことを聞いていたし、実行兄弟が水上へ出入する模様を見ていて必ずしも右の話が根拠のないものとは思つていなかつた。)掛札は昭和二十八年中にも実行がガソリンの横流しをしているらしいということを他より二回程聞いたことがあつたので、実行が水上タイヤ修理店へガソリンを横流ししたという事実は間違ないものと思い、調査の結果を井上事務長に報告する際も右の事実は間違いないものと思われる旨述べ、井上事務長も右の報告により間違ないものと考えたものである。

(5)  さて、前記のように志賀所長井上事務長、掛札課長等が協議した結果にもとずき井上事務長は同年四月一六日組合長上京中のため組合側の副組合長高岩武次郎、同緑川繁雄に対し高橋兄弟がパチンコにふけり勤務成績不良の上ガソリン横流しの事実あり、又実行については古鉄の不正売却得意先よりの借金等の事実があるので、配転の方針を捨ててむしろ解雇するを相当と考えていること、会社側としては本人が任意退職してくれるならば他へ就職の点については十分考慮したい旨内示の形式で申し入れた。高岩、緑川の両名は回答を留保し、上京中の組合長寺田四智郎を呼びよせることにした。

(6)  一方高橋実行は同月一五日掛札課長に、同月一六日頃井上事務長にそれぞれ面接し、「ガソリン横流しをしたことはない、パチンコについては今後慎しむから従来どおり自動車運転手の地位にとゞまらせてもらいたい。」旨申し入れたが、掛札井上両名は実行のガソリン横流しについても事実と考えているので右申し入れに応じなかつた。

(7)  組合長寺田四智郎は高岩等よりの通知により、急遽磯原町に帰り、同月一八日両副組合長と対策を協議した上、翌一九日高岩副組合長とともに所長、事務長と会見交渉した。会社側は一六日と同様の説明をし、又実行の非行は既に会社内でも各係長の知るところであり、配転するにも受入先がない次第であり、実行兄弟の解雇の方針は変更しがたい旨述べたが、寺田組合長は会社側の右方針に疑惑を抱き、みずから実行のガソリン横流しの事実について調査することとし、水上修理店附近に行つて調査した。その結果は実行に有利な陳述をする者もあり、不利な陳述をする者もあつて、結局はつきりしたことはわからなかつた。

(8)  同月二十一日寺田組合長は、会社側に対し、実行以外の組合員その他の者にも不正事実ある旨会社側に申し入れたことに端を発して組合の内紛を生じ、同月二九日組合の役員は総辞職することになつた。

(9)  同月三十日会社側は組合に対し、正式に(1)資材課自動車部に残す者は中島繁治、関川米蔵、松原利夫の三名とする。(2)菊地照男は資材課倉庫係に、和田彦六は資材課坑木整理係に、それぞれ配置転換する。(3)高橋実行、同勳の両名は自発的に退職しないときは解雇を通告する、との旨申し入れた。

(10)  その後組合側は右申入れ中、高橋実行の分については組合側において重ねてこれに異議あるものとしガソリン問題については本人においてあくまで潔白を主張しているので、司直の手によつてこれを明白にせられたい旨書面を以て会社側へ申し入れるとともに団体交渉の申入れをした。会社側は右書面による申入れに対しては実行の将来のこと(就職の問題等)を考慮し現在同人を告訴する意思はない旨答え団体交渉には応ずることとした。

(11)  同年五月五日団体交渉に際し会社側は実行兄弟の解雇については従来どおりの方針を変更しない旨を重ねて明らかにし、実行のガソリン問題については組合側で強硬に否定しているが、仮りにガソリン問題を除外して考えても、配置転換が受入先の反対等により事実上至難であること、多数の従業員を擁する会社の立場としては職場規律維持の上からして勤務成績不良で古鉄横流し等非行のある者を企業整備の際解雇するのは已むを得ない旨を説明し、組合側の解雇案撤回の要求に対して応じない旨を述べ、組合側は五月九日に回答する旨を答えた。

(12)  組合側としては実行本人はガソリン問題を否認しているがその点についてはつきりしたことはわからないままなので、結局本人の意思を尊重して事をきめる外はないということになり五月六日前組合長寺田四智郎、執行委員長泉勇吉が高橋実行と会見し、会社側に対する回答をどうするかについて協議したが実行より「自分としてはあくまで解雇の理由を納得するわけにいかない。しかし現在の組合の情勢を考えると、むしろ組合の交渉を打ち切つてもらつて、あとは自分個人で地労委に提訴することにした方がよいと思うから、炭労救済規定にもとずく救済手続をとつてほしい。」旨を述べ、結局組合としては企業整備によるものとしての実行の解雇を諒承する旨会社に回答することとし、実行もこれを諒解した。

(13)  そこで五月七日闘争委員会において、組合としての交渉は打切ることを明らかにし、同月九日組合側の副執行委員長立川正之助、前組合長寺田四智郎から会社に対し高橋兄弟の解雇を組合としては承認する旨回答し、会社側との間において右の解雇は企業整備による解雇とすること、解雇通知は五月九日附で出すことをとりきめた。会社はこのとりきめに従い、同日高橋兄弟に対し同年六月八日附を以て解雇する旨通告したものである。前掲各証拠中右認定に反する部分は措信採用しがたく、他に右認定を左右すべき措信するに足る証拠はない。

第三、本件解雇が不当労働行為であるか否かについて

高橋兄弟解雇に至るまでの経過事実は以上認定のとおりであるが、高橋実行は従来殊に企業整備直前の賃上争議に際し活発な組合活動を行つたことは前掲の如くであり、又証人高橋実行の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四号証並びに証人掛札義男、宮内宏人、井上恵助(第一回)、高橋実行、寺田四智郎の各証言(各一部)を綜合すると、昭和二九年四月の企業整備により解雇された組合員は一六名で、そのうち高橋兄弟を除く一四名はいずれも停年間近の者や、強度の近視や身体が小さくて作業能率が著しく劣る者で企業整備による解雇として納得し得べき者であることが認められ、即ち前記認定の企業整備における人員整理の基準に照し、その解雇には殆んど異議をさしはさむ余地もないと認められるが、高橋兄弟の解雇はこれらの者とその事情を異にすること、原告会社は解雇の理由として高橋兄弟の非行と配転不能を挙げているが、非行を整理基準とすることについては組合側に予め通告してなかつたものであり、一応配置転換を強行し然る上懲戒の手段に出るという方法も考えられること、証人高岩武次郎、石川清孝、井上恵助(第一、二回)、寺田四智郎の各証言(各一部)を綜合すると、原告会社側は、高橋兄弟解雇の方針を決定した昭和二九年四月一五日当時、同人等の非行のうち、ガソリン問題を第一順位に重視していたような感があるのに、組合側の反駁に対してこれを納得せしめるような立証の手段を講ぜず、本件において原告の提出援用にかゝる証拠資料によつてはこれを確認するに十分でないことを合せ考えると、原告会社の解雇処分については、実行の組合活動が決定的な原因となつているのではないかとの疑を容れる余地が全くないとはいえないわけであるけれども、前記認定事実によれば掛札課長井上事務長等が高橋兄弟のガソリン横流しの事実を真実と考えたのはあながち無理でもないと思われるし、井上証人の証言(第二回)により成立を認め得る甲第一六号証と同証言を綜合すると、実行が地労委に提訴した後昭和二九年七月中志賀所長はガソリン横流しをも告訴事実の一つとして高橋実行に対する告訴状を高萩地区警察署に提出していることが認められ、これと右井上証人の証言を合せ考えると、会社側としてはガソリン問題につき最後まで、少くとも嫌疑は濃厚であると考えていたと認められ、又右証人並びに前掲掛札証人の証言によれば、原告会社としては従来人員整理については組合側に一応整理基準を示すにしてもそれは必ずしも明確なものではなく、むしろ組合側と協議して組合側の意見をきき個別的に決するという行き方をとつていたこと、基準の設定告知等についてもルーズな考え方をもつていて、従業員の素行不良乃至は会社に対する背信的行為の如きは当然に配転及び整理の基準として斟酌し得るものとしていたこと、又従来とても原告会社では古金物数貫目を持ち出したゞけで懲戒解雇にしている前例があることを認め得べく、これらのことから考えれば前認定のように実行の配置転換については機電係の反対があり、実行自身も他の職場への配転を嫌つており、これを円滑に実施しがたい事情にある一方、同人には勤務怠慢の外にもなお不都合な行為(取引先よりの借金は暫くこれをおくとして、古スプリング不正売却の点はそれだけでも右前例によれば一応解雇の事由に当るともいえる)のあつたものである以上、原告会社において企業整備に際しこれを解雇すべきものとしたことは必ずしも諒解しがたいものではないのである。そして又実行の弟勳は組合役員となつたことがなく、活発な組合活動をしたわけでもないことは弁論の全趣旨によつて明らかであるが、実行兄弟の解雇が決定せられた理由は前記のように大体同様のものであり、以上の点と前認定の経過事実を合せ考えると、高橋実行の組合活動の事実により特別待遇をなさんとする意思が同人の解雇につき決定的な原因をなしていたとみることは困難であると思われる。従つて右解雇は労働組合法第七条第一号にいわゆる労働組合の正当な行為をしたことの故をもつてなされたものに該らないものというべく、被告委員会が右解雇を目して右法条所定の不当行為に該当するものと認定し、原職復帰並びに賃金遡及払の本件救済命令を発したのは違法であるといわなければならない。

よつてこれが取消を求める原告の本訴請求はこれを正当として認容することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 多田貞治 中久喜俊世 石崎政男)

(別紙)

命令書

申立人 高橋実行

被申立人 重内鉱業株式会社

右当事者間の茨労委昭和二十九年(不)第二号事件について、当委員会は昭和二十九年九月二十九日第六十四回公益委員会議において、会長公益委員大谷政雄、公益委員渡辺泰敏、同岩上二郎、同桜井武雄、同津田隆出席合議の上左の通り命令する。

主文

一、被申立人は申立人に対する昭和二十九年六月八日付解雇を取消し、申立人を解雇当時の原職に復帰せしめ、且つ解雇の日より申立人が受くべき賃金相当額を支払わなければならない。

二、前項は本命令交付の日より七日以内に履行しなければならない。

理由

第一、申立人の主張の要旨

(一) 申立人は、昭和二十一年四月より石炭鉱業を営む被申立人重内鉱業株式会社重内鉱業所資材課自動車部に運転手として勤務し、右重内鉱業所の労働者をもつて組織する日本炭礦労働組合常磐地方本部(以下磐炭労という)重内支部(組合という)の組合員であり、昭和二十一年七月組合の執行委員に選出され、以下職場代議員、青年部長、会計監査、執行委員等を歴任し、同二十八年執行委員(体育部長兼務)に選任され、同二十九年三月の磐炭労賃上げ争議の際は臨時常任闘争委員となり、同年四月執行部総辞職により役員を辞任するまで八年間継続して組合役員として活動して来たものであるが、本年五月九日被申立人から六月八日付をもつて企業整備による解雇をなす旨の予告を受け六月八日解雇となつた。

(二) しかし被申立人は右解雇の理由として名目は企業整備とはなつているが、事実はこれと異なり申立人の非行によるものとしている。即ち、

(1) ガソリンの横流し

(2) 古金物の売却

(3) 取引先からの職権利用の借金

(4) 勤務時間中のパチンコの常習

の事実による懲戒のための解雇であるが、申立人の将来を考慮して企業整備としたのであるとしている。

(三) しかしながら、被申立人のあげる右の事由は全く真実に違背しておるのみならず、殊にガソリン横流しの事実に至つては、申立人の全然身に覚えのない事実無根のものである。

(四) 従つて、本件解雇は畢竟申立人が前掲組合の役員として、正当な組合活動をしたことの故をもつてなされたものにほかならない。

申立人が組合員としての経歴並びに組合活動については、前段(一)において詳述したとおりであるが、特に本年三月磐炭労賃上げ争議の際、申立人は隊長として青年行動隊の指揮をとること、臨時常任闘争委員として闘争態勢の確立と強力な闘争の推進を行うことの二つの役割を課せられた。青年行動隊の活動中最も顕著なものは、常磐合同炭鉱のピケラインの設定であつたが、その際申立人は隊員を指揮して、これが設定に縦横に活躍し常磐合同炭鉱労働組合のストライキ脱落の危機を救い磐炭労の闘争を推進した。臨時常任闘争委員としては、当時の執行委員長寺田四智郎の厚い信任を受け組合員及びその家族に対する教宣活動等争議指導に他の常任闘争委員より積極的に行動し強力な闘争態勢を確立したのである。かゝる事情にあつたので右の賃上げストライキ中、重内鉱業所の首脳部と激突したことも再三にとどまらず、しかも他の闘争委員の比ではなかつた。

以上のごとく申立人は組合活動に活躍しておつたので被申立人の申立人に対する本件解雇の理由はまさにこの事由にほかならぬことは誠に明らかである。

よつて本件解雇は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であるから主文第一項の救済を求むるため本件申立てをなしたのである。

第二、被申立人主張の要旨

(一) 申立人主張の事実中、申立人が重内鉱業所に勤務するに至つた経緯、職務並びに組合経歴と第一の(二)に記載せられてある事由のもとに解雇した事実については認めるが、本件解雇を申立人が活溌に組合活動をなしたことに因るとの主張についてはこれを争う。そもそも申立人を解雇したのは、本年四月十日頃申立人の非行に関する投書問題が発生したので被申立人としても慎重に事実の真相を調査したところ、申立人が挙示している四個の非行の事実が判明したので被申立人としてもやむなく申立人を解雇することに決意したのである。そこで被申立人は本年四月十六日組合に対し申立人を解雇する意思を伝え、申立人を企業整備による解雇として六月八日付で解雇する旨の予告をなし、その結果同日付をもつて解雇となつたのであつて、申立人が組合活動をしたゝめに解雇したものではない。もつとも申立人は活溌な組合活動をしたと主張しているけれども、本年三月の賃上げ争議においても被申立人よりすれば申立人の活動は別段目にとまるようなこともなく従つて申立人が今次長期ストライキの指導的立場にあつたとするのは全くの臆断であり、茨城・福島の両県にまたがる磐炭労傘下の争議において申立人等のごとき二・三のものの使い走り位の活動でストライキが左右されるものでもなく、被申立人は申立人の組合活動のごときは全く歯牙にもかけなかつたのである。

(二) かりに、申立人が申立人主張のような組合活動をしていたとしても、申立人は前記解雇予告の通知を平穏裡に受領し、予告期間中何等の反対の意思表示をせず日立電鉄株式会社に就職試験を受け、又被申立人に離職票を請求し失業保険金を受ける手続を了しているのであるから、申立人は右の解雇を当時全面的に承認したものである。かゝる承認をした以上申立人としては以後、その解雇を目して不当労働行為なりとして救済を求めることは許されないのである。

以上の理由により本件解雇を不当労働行為として労働組合法第七條第一号により救済を求める申立人の本件申立は理由がないから却下の決定をなすことを求めるものである。

第三、認定した事実及び判断

(一) 申立人が石炭鉱業を営む被申立人の重内鉱業所資材課自動車部に昭和二十一年四月より運転手として勤務していたこと、及び被申立人が本年五月九日申立人に対し、六月八日付をもつて企業整備による解雇をする旨の予告をなした結果、六月八日申立人が解雇されたことは両当事者間に争のないところである。

(二) よつて当委員会は両当事者の主張、証拠資料並びに審問の結果に基き、まず本件解雇が申立人主張のごとく、申立人が正当な組合活動をなしたことに存するものか、或いは被申立人主張のごとく、申立人に実質上懲戒解雇に値する非行があつたのを名目上企業整備によるものとしたものか否かについて判断し、ついで申立人が本件解雇を被申立人主張のごとく承認したか否かについて判断する。

(三) 申立人が、被申立人の重内鉱業所の労働者をもつて組織する組合の組合員であり、昭和二十一年七月執行委員に選出され、以後職場代議員、青年部長、会計監査等を歴任し、昭和二十八年執行委員(体育部長兼務)に選出され、同二十九年三月の磐炭労賃上げ争議の際は臨時常任斗争委員となり、同年四月執行部総辞職により役員を辞任するまで八年間継続して組合活動に従事してきたものであること、この磐炭労賃上げ争議はストライキ中だけでも前後十三日間にわたつて時限スト、無期限ストを重ね組合発足以来最も激しい闘争であつたが、その間申立人は臨時常任闘争委員として青年行動隊長を兼務し、団体交渉その他会社との折衝に当つたり、また一般組合員及びその家族に対する教宣活動に従事したり、あるいはまた、青年行動隊を指揮して常磐合同炭鉱のピケラインを設定する等活溌な闘争を展開したこと、以上の事実よりしてこの争議の闘争態勢の確立と闘争の推進において強硬な組合指導者の一人であつたことは十分にこれを認めることができる。被申立人は申立人の活溌な組合活動を知らなかつた旨主張しているけれども、右の争議の際の平市の石炭会館における団体交渉及び三月二十五日頃の保安要員打合せ協議会等における被申立人との折衝において申立人が特に組合の立場を強張し、被申立人の主張要求を反発した事実、竝びに申立人及び高岩副闘争委員長に向つて被申立人の重内鉱業所事務長が「炭労賃上げストライキの第一戦犯は寺田四智郎であり、お前らは第二、第三戦犯である」旨の言葉を発した事実(これらの事実は申立人の立証により認めるに十分である)に懲すれば、申立人の長期ストライキ遂行の強硬指導者であつたことを被申立人が十分に認識していたことを推認することができる。

(四) そこで申立人に果して被申立人が主張するような非行があつたか否かについて検討するに、ガソリン横流し、古金物の売却竝びに取引先からの職権利用による借金の事実は被申立人の立証をもつてしては、いまだこれを認むることはできない。もつとも、申立人が勤務時間中にパチンコをしたことがあることについては申立人の自認するところであつて、一応従業員として勤務上非難を免れないところであるけれども、いまだもつて解雇事由の一つに値する行為とは認められない。

以上のごとく申立人には被申立人が主張するような懲戒に値する非行はこれを認むることができないから、本件解雇は前段認定の申立人の組合活動の事実にかんがみ、ほかに特段の事情の認められぬ本件においては申立人の活溌な組合活動をなしたことによるものと判定せざるを得ない。

(五) つぎに、申立人が被申立人の本件解雇を承認したか否かにつき検討するに、本年五月九日組合代表寺田四智郎、立川正之助が申立人の承認を得て申立人外一名の解雇撤回を主とする企業整備闘争を打切つたこと、右代表者との間に本件解雇を企業整備による解雇とし、解雇日を六月八日付とすることについて話合いできたこと、被申立人は申立人に解雇の予告をなし申立人はこの通知を受領したこと、日立電鉄株式会社に就職試験を受けたこと、並びに離職票を請求して失業保険金を受ける手続を了したことはいずれもこれを認むるに難くないが、申立人が組合に与えた右の承認若しくは諒解は申立人の当時の情勢判断よりして、組合自体が解雇撤回闘争をすることの困難性を感じたので組合としての闘争を打切り解雇を承認することに対して単なる諒解を与えたに過ぎないものであつて、不当労働行為に対する救済申立を放棄する旨の承認があつたものでもないと解するのが相当である。また申立人が解雇予告を受けたり、失業保険金を受けたり、或いは他会社えの就職に奔走したりしたことはいずれも労働者として経済的に逼迫している地位よりみて当然の措置であつて、これまた解雇の承認とはならないと解する。以上の理由によつて被申立人のこの点に関する主張は容認するに由ない。

以上の判断により本件解雇は申立人の組合活動を理由としたものであり、労働組合法第七條第一号に違反する不当労働行為であると認め、労働組合法第二十七條及び中央労働委員会規則第四十三條により主文の通り命令する。

昭和二十九年九月二十九日

茨城県地方労働委員会 会長 大谷政雄

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